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学校で教えてくれない音楽

Posted on 2018年3月6日 | No Comments

NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』のオープニング音楽を作曲し、その音楽がお茶の間でもお馴染みとなり、ついには紅白出演も果たした、(あえて言うならば)前衛的音楽家の大友良英氏による音楽講義。

義務教育のなかで習う音楽というのは、極めて限定的な意味での音楽――つまりは、西洋で長年にわたり組み立てられてきた音楽理論を基礎とし、クラシック的世界でいう、それぞれの時代をつくった作曲家の作品をなぞり、ドレミファソラシドと♯♭の12音で音を規定し、それを楽譜におさめ――でしかない、ということを暴き出す。といっても、暴力的なやり方でではなく、たとえば、音楽室の壁に貼られたクラシックの作曲家、バッハやベートーベンなどの肖像画がならぶ列に、三波春夫の肖像画が無いのはなぜか、と逆説的に問うのである。この問いに笑いが漏れることが、義務教育で習う音楽が限定的な音楽であることの証左なのだ。

本書の第1章では、ちいさな子供から大人までが参加者となって、一緒に好きな音をだしてもらうというワークショップの模様がまとめられている。3分間、好きに音を出させる。好きにやってもいいといいつつ、好き勝手に音を出すことも、2分ぐらいで飽きてくる。そこで自由な音は、いったんトーンダウンする。勝手に出しつつも、なにか外からの反応やルール、リズム、ハーモニー、メロディを求めはじめる。続いて第2章は、音をだす、歌ってみるということで、テニスコーツのさやを中心とした声をだすワークショップの模様がまとめられている。音痴をシンセサイザーに見立てる、さやの発言が面白い。第3章はこれまでのワークショップを実況する形式から変わり、大阪・西成、釜ヶ崎、いわゆる、あいりん地区をフィールドとした、乱暴にいうと創造的音楽療法の活動がまとめらている。大友良英氏が、どのように考えながら、療法ともいえる音楽活動に携わるようになっていったのか、そしてどう考え方が変化してきたのか、赤裸々に、正直に、書かれているのがよい。

そして最終章は、大友良英氏が新たに音楽をつくるにあたって、考えていることが、読者に語りかけるようにまとめられている。音楽と土地、場と音楽、盆踊りと音楽、祝祭を体験する空間から、独立して鑑賞する音楽への変化などなど、音楽とはなにかを根本から考える、そんなきっかけとなる一冊となっている。

 さや でも、それは「自分で予測がつかない声」が出る、ってことじゃないですか。それは楽器として考えたら、すごいですよね。まるでシンセサイザーみたいな。

この世は、自分の知ってる世界だけじゃないって思い知ることは、子どもだけじゃなく人間にとって必要で、だから昔は神様だけじゃなく、なまはげがいたり、妖怪も妖精も、お化けだっていたんだと思います。異界から来る人、異界があるって思い知ることって大切。その意味では、僕らは妖怪的でいいのかな。

音楽は直接実用的な力なんか持たない方が絶対にいいと思ってます。そんなもんを持った時は危険なサインだとも。だからノイズが好きなわけで。音遊びの会が好きなのも、盆踊りが好きなのも、その社会的な意義なんか以前に、なんだか笑けて好きなわけで。

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