> | > ひとり飲む、京都

ひとり飲む、京都

Posted on 2017年3月17日 | No Comments

京都の夜を楽しむための、ただのガイドブックではない。
退屈で欠けのない日常を離れ、まったく自由な時間が1週間、手に入るとするならば、あなたはどう過ごすだろうか。京都中心部にあるホテルを定宿にし、毎夜毎夜、出歩き、食べ、飲み歩く――著者の答えはこうだ。季節を変えて、6月と1月の2回、まとめて2週間、京都の食べ歩きの記録をまとめたものが、本書となる。

朝の喫茶店での珈琲、もしくは昼のうどんや丼で始まり、夜は居酒屋や割烹から。小腹が満たされると、続けざまにバーへ。ときにホテルで小休止を入れて、また夜の京都へ出陣ということも。京都の街が持つ雰囲気の描写、店主らとの何気ない会話、ひとり呑みならではの地元の人との触れ合いから、著者の人柄が伝わってくるのがよい。

キザでインテリで小金持ち的、もしくは逆に、なにか卑下したような、そんな類の嫌味はどこにもなく、あくまでもどこまでも自然体。老舗から新しいお店まで、知られた店もそうでないところも、飄々と夜の店を渡り歩きながら、ときにただのオヤジでありながら、自由で洒脱な空気が心地よい。ただただその人と京都の街に憧れる。1週間という限られた時間だからこそ、京都の生活に迫ることができる隙間、観光と生活の狭間があるのだ。旅は斯くありたいと、妄想も広がる。

各店での飲食費も公開されており、巻末には訪れた店のデータもまとめられている。ただのガイドブックではないと云いつつ、ガイドブックとしても使えるようになっているのは、著者の優しさか、はたまた蛇足か。とりあえず、本書を読んで、すこしでも気分があがったならば、その隙にすぐにでも、勢い休暇をとってしまい、何も考えず、あなたにとっての京都へ、向かってしまえばよい。そんな気分にさせてしまう本である。

東京の新しい店は立ち飲み然り、昭和レトロ然り「今はこれがアタル」などの流行追随ばかりで、「アタル」とすぐに二号店、三号店と、やっていることは「事業」なのがとても嫌だ。当たらなければすぐやめて他の業態を探し、そこには自分一人の世界で客に対峙する美学、気概のかけらもない。東京には経済はあっても文化はないのだろう。

ひとり飲む、京都



Leave a Reply

量子的跳躍 quantum leap. Powered by Blogger.