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場末の酒場、ひとり飲み

Posted on 2015年12月22日 | No Comments

場末、酒場、ひとり飲みと、なんとも魅力的なキーワードが並ぶタイトルの本書は、著者が場末の酒場を巡りつつ、場末とは何かを考える一冊。

紹介される場末の酒場は、東京の西端では西八王子の北口駅前や、東京の東端では江戸川近くの瑞江。北端では日暮里舎人ライナーの舎人駅近い尾久橋通り沿い。そのほか、鶯谷駅南口の立体交差道路の下、錦糸町花壇街、日暮里駅北口初音小路、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅商店街などなど。

本書は、場末にあるオススメの酒場を紹介するような、場末の酒場ガイドブックなどの類ではない。著者が場末と考える東京周辺の酒場で、飲み、食い、喋り、テレビを見て独り呟きながら、その土地と人、歴史や時間の流れを考える。まるでそれは都市論のようであり、説教臭くない人生論のようでもある。

場末について考えることは、つまるところ、酒を飲むということの原点を探る旅のようではないか。

 そもそも屠場が設立される目的は、食用肉の加工精製という側面とともに、近代日本が軍国化してゆく中で、軍装や馬具として使う皮革製品の大量の需要が発生し、そうした国策的要請から牛や豚を屠る作業所の拡大が必要とされたのだ。
 そして昭和以前には屠場のあるところには皮革産業や油脂産業の工場も集中した。保存技術の拙かった時代において、傷みやすい皮や油脂を効率よく精製するためには、工場群は屠場の周辺に作るしかなかったのである。つまり屠場のある地域は必然的に工場街になっていったのだ。
 さらにそこから副産物として出る内蔵=もつ肉もさらに傷みやすいものであり、新鮮なものが入手できる地域にしか出回らず、限られた一帯にもつの調理法が成熟していくことになった。
 これらの状況から安く精のつくもつ料理に工場労働者が集まるようになり、この好循環が現在のもつ煮・もつ焼きのブームと高水準の地域の台頭という現象が生まれるのだ。

場末の酒場、ひとり飲み (ちくま新書)



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