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ギヴァー 記憶を注ぐ者

Posted on 2015年5月25日 | No Comments

『愛』という言葉が、抽象的で不適切な言葉とされる世界。職業の選択や、家族を持つこと、その相手を選ぶこと、また子どもを持つことなど、すべてが管理されたコミュニティと呼ばれる空間に生きる人々。軋轢、衝突、怒りや愛、性欲、ある意味で面倒なさまざまな人間性を捨て、貧困も格差もなく、ただおだやかに生きることを選んだ人類の果てが、この世界を生み出した。

細部まで管理された、安全な社会が包含する異常性は、巧妙に隠されている。コミュニティによる管理と、市民の相互監視により、完全なる予定調和の理想郷=ユートピアでは、生(性)や死ですら、自然の摂理ではなく、コントロールされている。また、隠しごとや嘘など、コミュニティの規則を破る者は、解放=コミュニティから追放されるのだ。頭の中で考えたことや、感じたことまで、人とわかちあう、感情共有も義務とされている。ユートピアの裏面には、かならずディストピアが存在するのだ。

コミュニティに暮らすものは皆、12歳になると、各々の能力や性格に最適な職業に任命される。主人公の少年ジョナスは、人類のこれまでの過去の記憶、すべてを受け継ぐレシーヴァと呼ばれる存在に選らばれた。記憶を注ぐ者 ギヴァー(新たにレシーヴァが任命されると、これまでレシーヴァだった者は、ギヴァーとなる)から、少しずつ記憶を受け継いでいくのだが、それは隠ぺいされてきたコミュニティの、すべてを知ることだった。

知ることで次第に、ジョナスの心に変化が表れじはじめる。少年の瑞々しい感性から生じる葛藤が、なんとも美しく切ない。不都合のあるものをすべて世界から切り捨て、お互いにわかちあい=感情共有したところで、つまるところ孤独しか生まない。結果として、コミュニティを脱出することを選ぶジョナス。それは逃亡ではなく、変えることを熱望した果ての行為であった。三部作はじまりの一冊は、希望なのか絶望なのか……

なんとも空恐ろしく、気持ちの悪い世界。しかし、これによって格差も貧困もない、平穏な世界が維持されている。中央集権的なビッグブラザーによる監視社会ではなく、相互監視によって維持される、ぬるい平和な世界というのは、GoogleやFacebookによって今まさに、構築されつつあるのではないのだろうか。

ギヴァー 記憶を注ぐ者




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