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漁業という日本の問題

Posted on 2012年10月21日 | No Comments

 魚離れという言葉が、朝日新聞に最初に登場したのは、一九七六年です。「若い女性は魚離れ料理は苦手、鮮度にも関心薄い」という記事でした。紙面には、「「魚が好き」やっと半数 一匹買わずに切り身で魚屋よりスーパー利用」という見出しが躍っています。実に三〇年以上前の記事なのですが、昨日の記事と言ってもまったく違和感がありません。
 平成二〇(二〇〇八)年度の『水産白書』は、子どもの魚離れに着目しています。「魚離れの進行と子どもの魚離れがもたらす影響」を分析したうえで、家族、企業、地域、学校の工夫と努力で、子どもに魚を食べさせることの必要性を論じています。

漁業衰退の原因が、魚離れをしている消費者サイドにあるならば、もっと魚を食べることで、漁業を支えることができるはずです。逆に、水産資源の減少が漁業衰退の原因であれば、消費を控えて、資源を回復させる必要があります。私たちは、日常的に矛盾する情報にさらされているのです。

よく耳にする「魚離れ」という言葉。これが30年以上も前からメディアに登場していたことも驚きだが、同じ文脈のなかで、海外メディアを中心に、乱獲による水産資源の減少についても、繰り返し指摘されてきている。この矛盾した情報をきっかけとして、筆者は公開されたデータを中心に検証を組み立てていく。

なんとなく当たり前に思っていた「魚を食べる」ということが、太平洋戦争後に広がった食文化であることにも驚く。しかし、よくよく考えてみれば、漁村に住んでいない限り、家庭に冷蔵庫も無かった時代に魚を日常的に食べることが難しかったことは想像に難くない。

日本の漁獲量はマイワシを除けば、1970年代から減少し続けていること、養殖はパイもかなり小さく、餌も輸入頼りなこと、種苗放流(卵を孵化してして人工的につくった稚魚を放流すること)は、漁獲量に影響をあまり与えていないこと、輸入魚の輸入量・輸入額ともに減少傾向にあることなどが、データとともに示される。

漁獲尾数の七割を占めている〇歳魚は、体重が一キログラム前後で、漁師の収入となる水揚げされた港での価格(浜値)は、一尾一〇〇円程度です。同じ魚を三歳まで待って獲ると、体重は九キログラム、一キログラムあたり単価は一五〇〇円以上にもなります。氷見(富山県)の定置網で一二月に獲られるブリは、一本の単価が一〇万円を超えることも珍しくありません。

地球温暖化説、中国・韓国船の乱獲説、クジラ食害説を否定しつつ、日本船による乱獲の事例をあげ、日本漁業の現状を描いていくあたりは、なんとなくぼんやりもっていた想像をあっけなく壊される。漁業という現場が、まさに共有地の悲劇そのものになっている。日本人はモラルが高い...というまったく根拠のない幻想が、これまでの想像の根底にあるだけなのだ。

このあと著者は、日本漁業の処方箋として漁獲枠制度の改善を訴えている。また、ノルウェーやニュージーランドの漁業改革をとりあげて、その訴えが現実的にじゅうぶん可能であることを丁寧に示していくのだ。

ここまででも十分読み応えのある内容の本書だが、「なぜ日本では乱獲が社会問題にならないのか?」と題した章で問題の根幹に迫っていて、ここがもっとも興味深いところだ。

指導教官から「日本で水産資源の研究をやるには二つの選択肢しかない。一つは、コンピュータを使って、仮想資源の管理理論を研究すること。もう一つは、クジラやマグロの国際会議で、日本の漁獲枠を増やすために働くことだ」と言われました。机上の空論をやるか、お国のために働くかしか、選択肢がないと言うのです。

漁業の現状を擁護するような研究にしか、漁獲データが使えなかったのです。

このとき魚離れを指摘した「おさかな普及協会」というのは、水産関係の企業五九社が作った業界団体です。つまり、魚を売る側のプロモーションだったわけです。このようなプロモーションが行われた背景には、オイルショックによって遠洋漁業のコストが上がり、魚の消費が落ち込むのではないかという懸念がありました。

一九七〇年代から、魚離れの警鐘は鳴りっぱなしなのですが、第一章でも述べたように八〇年代中頃から、バブル期を通じて、消費量は増加し、日本の一人あたりの水産物の消費量がピークを迎えたのは二〇〇一年です。「ずっと前から魚離れが進行していた」という印象をお持ちの読者が多いのではないでしょうか。三〇年以上前から水産庁とメディアが「魚離れ」について警鐘を鳴らし続けた結果、消費者の魚離れがいつの間にか既成事実であるかのようになっていたのです。

魚離れの「既成事実化」は、現在の破綻した水産行政を正当化するうえで好都合でした。消費者に罪悪感を与えて、「魚を食べないといけない」という強迫観念を与えると同時に、漁業衰退の責任を消費者に転嫁して、公的資金を投入するための世論作りにもなります。まさに一石二鳥というわけです。

二〇〇八年六月にイカ釣り漁業者が一斉休漁としました。日本のマスメディアは、漁業者が燃油高騰で苦しんでいることを、連日のように、同情的に伝えました。その一方で、高コスト体質の根本原因である光量競争には一切触れませんでした。

逆に、時代遅れの衰退産業と思われていた漁業が、構造改革によって持続的かつ生産的な産業に生まれ変わることができたら、どうでしょうか。衰退している日本の多くの産業に変化の必要性を伝える一つのきっかけになります。漁業改革が日本全体にとって重要な意味を持つのです。

日本漁業が衰退を続ける背景には、「問題を隠して現状を維持しようとする既得権勢力」「現状を知らされず非生産的な労働を余儀なくされている漁業者」「何も知らされていない納税者」という構図があります。漁業以外の多くの産業にも共通点がありそうです。

タイトルにあるように「日本の問題」と大きく出ずとも、漁業をとりまく様々な真実を、公開されているデータや海外の事例によって、明快な論理とともに明るみにする本書は、十分に衝撃的な内容。これは漁業に興味がなくとも、必読。

漁業という日本の問題



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