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越境者的ニッポン

Posted on 2012年8月14日 | No Comments

十代中頃から、博奕に嵌まり、高校にはほとんど行かず、渋谷の雀荘に通い、二十一歳の時に、後楽園競輪で、原資一万円だったのに三百万円強をぶち当てる。新卒月給二万円の時代の話。その金を懐にアメリカに渡った。それから四十年近く、日本に戻ることなく、海外、ここ三十年近くは、オーストラリアを拠点として、世界中の賭場を攻めている...という筆者による、「COURRiER japon」誌に連載したエッセイ「越境者的ニッポン」に加筆修正されたのが本書。

ある年齢を過ぎると、絶対的知識量が不足している子どもたちは、全体主義者となる。他の子どもがやることをやりたがり、同じ物を持ちたがり食べたがり、同じテレビ番組を見たがる。これに関しては、いくらでも例が挙げられるはずだ。
放っておけば全体主義者となってしまう子どもたちを、言葉は悪いかもしれないが、社会を社会たらしめる論理ですこしずつ「矯正」していくのが、教育の重大な役割のひとつではなかろうか、とわたしは考える。

ドラッグ使用者を(日本のように)「非国民」と規定して、塀の中でしゃがませても、問題はちっとも解決しない。それは日本の刑務所の実状をみてみれば、容易に理解できるはずだ。総受刑者の約四分の一に当たる一万五千人強は、「覚醒剤事犯」である。しかも、そのうちの多くは「再犯」者だ。この数字は、厳罰主義では、ドラッグ濫用に対応できないことを明示しているのではなかろうか。

ドラッグの使用を厳罰化することによって、もし事態が好転するとするなら、それもひとつの方便かもしれない。しかし、現実はその逆である。それでも日本では、世界の体勢に逆らい厳罰主義を採用している。なぜなのか。
わたしの推測では、「異物」の創造のためである。
「ガイジン」が存在するから、「日本人」が立ち上がる。
それと同じように、国民国家内部でも、お上の意にそぐわない「非国民」が居るからこそ、国家に忠誠を誓う善良で勤勉で忠犬ハチ公のごとき「国民」が立ち上がる。

自らをチューサン階級(中学校三年生程度の知識の持ち主)と嘯き、素朴なふりをしていながらも、裏返ったところからの、本質的な視点からの問題的がわかりやすく面白い。

わかりやすさの毒を理解しつつ、右だ左だアホだバカだ思考停止のラベリングに陥らず、フラットに読みたい。

越境者的ニッポン (講談社現代新書)



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